Who Is Thomas M. Back?
TMB望遠鏡その他の光学製品の天才デザイナー「Thomas M. Back」は、50歳の若さで去年の9月13日亡くなられました。トマス・バック氏は20〜21世紀の世界中の天文学に大きな影響を与え、TMBの高性能望遠鏡やアイピースで数多くのユーザーを虜にしています。この偉大な功績に対し敬意を表するとともに 国際光器は感謝の意を表したいと思っております。Rest in Peace, Mr Back....
トマス・バック氏が、TMB望遠鏡のデザイナー以外に、どのような人であったのか、どのような人生を送ってこられたかについて、皆様にご紹介させて頂きたいと思います。
下記の短いインタビューは、USAの有名な天文フォーラム「CLOUDY NIGHTS」が、2006年末に行い、その内容を国際光器のBグーリが和訳させて頂きました。オリジナル英語でのインタビューとトマス・バック氏の写真をアクセスするには、こちらをクリックして下さい。
どうぞよろしくお願い致します。
国際光器(株)マゼラン/担当ベリーグーリ
<Cloudy Nights>
クラウディナイツへようこそ!あなたはとてもお忙しい方とお聞きしていますが、そのお忙しい中、こちらまで足を運んでいただきありがとうございます。それではインタビューをスタートしましょうか。それではあなたの自己紹介と、あなたの趣味やあなたの天文活動へのきっかけについて教えて下さい。あなたは USAの中部出身ですね?
『トマスバック氏』
そうです。私はオハイオ州のクリーヴランド市に生まれ、カルニフォルニアのベニス市とオハイオ州のボーリンググリーン市に短いあいだ暮らした以外はずっとクリ−ヴランドの近郊に住んでいます。私は光学についての特別な教育は受けておりませんが、子供の頃から数学と物理学は非常に得意でした。現在もクリーヴランドの郊外に住んでいるんですが、この場所の近くには大きな湖があって、意外かも知れませんが、どうもこの湖の存在がシーイングをよくしているようなんです。今住んでいる場所は、夜空の暗さや冬期の晴天率はさほど良いわけではないですが、シーイングの良さから見れば、オハイオ州の中でも一番良い場所の一つだと思っています。夏期は驚く程晴天率が高いのですが、残念ながら近年増えつつある、24時間ショッピングセンターの照明が、暗い空が必要なディ−プスカイ天体の観望を台なしにしてしまっています。
私は昔から趣味と興味の有ることに関しては、いつも一生懸命です。例えば11歳の時、初めて自転車で100マイルのロードトリップをして、レースにも数回勝ちました。私が初めて望遠鏡を手に入れたのは8歳の時のクリスマスプレゼントでしたね。この望遠鏡は確かタスコの60mm屈折望遠鏡で、今思えば、レンズの精度が悪くても、像が悪くても、私は懲りずに一所懸命その望遠鏡を使い、いろんな天体を見ようとしていました。その時、私は心の中で将来「月」と「惑星」をきれいに見せてくれる望遠鏡をぜひ手に入れようと決心しました。これはさらに昔、私が初めてプレアデス星団と月を古い7x50双眼鏡で覗いて感動した以来の出来事でした。
それから私は音楽も大好きです。私のサウンドシステムは極めてハイエンドな仕様で3500枚以上のLPと1000枚以上のCD, DVDとSACDを持っています。クリーヴランドに住んでいて良かった事のひとつとして、アメリカ一のオーケストラ、クリーヴランドオーケストラがこの地にはあり、これまでに数回このオーケストラによって音楽の美しさを最大限に満喫しました。
これまで私は、そう!41年間も宇宙とその宇宙を知るための機材に興味を持って活動しています。(これで私の年がばれますねハハハハッ。)そのきっかけは、それまで私は月や惑星などを充分綺麗に見せてくれる望遠鏡と出会う事ができず常に悔しい思いをしていたからでした、「じゃぁ、どうすれば…?」という思いから、光学という分野に強い興味を持ちはじめました。今そのメーカー名は言えませんが、当時全部で8台も望遠鏡を買いましたね。ある望遠鏡はとても高価で、ある望遠鏡は口径20cmの口径もあったのに、 私が想像したような惑星の様子を見る事はできませんでした。これは私がティーンエィージャー時代の事です。 そこで私は自分で16cm/F8のミラーを研摩することにしたんです。そのミラーは今も大切に持っています。このミラーは意外に出来が良く、あるメーカーの15cm/F15のマクストフカセグレンを除けば、今まで所有したどの望遠鏡よりも良く見えました。しかし、暖かい夜以外はなかなかミラーが外気と順応せず、その点だ けが気になりましたけど…。この望遠鏡は季節を選ぶ望遠鏡だと言えるかも知れませんね、しかしフードを被せても、夏場はよく霜がついてしまいました。
そのミラーを自作してから、さらに私は光学にはまってしまい、それ以降というものは、天文関連や光学そのものと理論に関する専門書すべてを買って独学し、それ以外の天文光学に関する情報は複数の大学図書館へ行って必要な情報をコピーし、一生懸命学びました。アマチュア情報からプロレベルの知識まで、35年間に渡り、望遠鏡と光学についての記事や情報の収集は、全部で2,000枚以上、月や惑星に関する記事や情報の収集は1,000枚以上コピーをしたでしょうね〜。
そのせいもあって、現在は自分のとても大きなプライベート図書館を持っていて、アストロノミー誌、スカイ&テレスコープ誌の全バックナンバー、50年間分のALPOジャーナル、B.A.Aジャーナルとその他の書籍をたくさん持っています。この図書館には、ほぼすべての専門的な月や惑星に関する本と数多くのディープスカイ用の天文書籍や星図があります。この殆どは他の天体も含め、惑星のビジュアル的な書籍も数多く含まれており、なんと!18世紀当初のものなんてのもあります、他にも、最初の月面探検から最新のカシニ号のデータや画像などプロフェッショナルによる月や惑星についての研究書も所有しています。
望遠鏡に関しては16cm/F8ニュートンではどうしても満足が出来なくて、さらになんとかしようと思っていました。この時はPCが登場した始めのころです。WINDOWS 95の発表がまだ1年ぐらい先の頃、私はGateway社のマスコプロセッサ−付きの386-16コンピューターを購入し、1990年には光学設計の名人、マイクシモンス氏が「IOPD」という光学ソフトでザインプログラムを開発しました。これはDOSのプログラムでしたが私はすぐにマスターしました。当時私はロランドクリスチン氏と仲がよかったので、彼がこのプログラムを私に渡してくれました。 マイク氏とは連絡がとれなかったから直接に彼のプログラムを入手できなかったんです。そうしているうちに私はロランド氏に私自身が作ったデザインを見せてみました。これは私の独学で、彼のデザインに近いデザインを作ってみたのでした、おそらくロランド氏にしてみれば、あまりいい気持ちにはならなかったでしょう。 しかしその後1991年のアストロフェスト星祭りの時に、ロランド氏は私のデザインは「数μ」だけのずれで、彼の制作した "Star12ED 2枚玉と、彼の初めての「Super ED」3枚玉の155mm f/9 EDTレンズとほとんど同じである、という見方をしていました。
その後、私はプロの光学デザイナーのリチャード・カルサン氏と連絡を取り、私のサポートを加えて二人で彼の光学デザインプログラムを仕上げました。このプログラムでは2枚玉と3枚玉のレンズをデザインしました。現在は「ZEMAX」という非常にパワフルな光学デザインアプリケーションを使っていて、このソフトウエアは「CODE V」といううソフトと一緒に、世界中で基準的となる位置付けで使用されています。「CODE V」の方は光学デザインソフトとしては、レベルがかなり上で、私の見解では世界トップクラスですが、「ZEMAX」はUS$4,000で買えるアプリケーションで、「CODE V」かなり高価な一年間のレンタルシステムを採用しているので、「ZEMAX」の方がコストパフォーマンスが高く、そして無理に毎年アップグレードをせねばならない義務もありません。この毎年の費用が重なればコストが非常に高く付いてしまうんです。
私の光学デザイン能力が、その当時のプロと同等のレベルまで上がった事を自覚した上で、私は私の光学デザイン・ノウハウを天文アマチュアとプロのマーケットに提供することに決めました。その時の私の会社は「APOオプティカル」と名を付けて、アマチュアの方とプロフェショナル光学製品メーカーにと複数のデザインを作っていましたが、収入はそれほどでもなかったから、本業は別に持っていました。それから、1997年に、APM社のマーカスルーデス氏から連絡があって、一緒に事業をしないかと提案されました。その時の私は光学製品のデザインだけがしたかったわけですから、私は喜んで私のデザインを購入してもらうようにしました。当時は口径80mmから口径14インチまでのデザインを開発してAPMに提供していました。 その時の支払いは現金ではなく、商品との物々交換でしたから?これは何かの間違えかな?と思ったものでした。それからしばらくして私は光学デザインとは別に行っていた本業の仕事を止めることにして、TMB社用のTMB望遠鏡とレンズのラインナップをフルタイムで制作/販売することとなったのです。最初の2年間は大変でした(商売を始める場合はこれは普通ですね)、3年目からはやっと良い生活ができるようになりました。このステップは16前のことで、今まで未練なくずっとやってきました。
<Cloudy Nights>
星の観望は頻繁にやっていますか?
『トマスバック氏』
TMBオプティカルの仕事を始める前までは、シーイングが良くないとき以外、殆ど晴天の夜は外へ出て星を見ていましたね。私は1975年まで遡る事ができる観望/観測データを今も持っており今も続けています。私はALPOと英国の天文ソサイエティの British Astronomical Association (BAA)のメンバーになって、火星の指定観測者として選ばれました。 BAAに私が書いた複数の火星のイラストを送ったりしたことによって、私は数多くの大型高精度望遠鏡が使える惑星観測者の方を知り合いになることができました。この仲間の中には、著名な惑星と月面の写真撮影者の方も含みました。例えばその中の一人は、数多くの惑星に関する本の作家のウイリアム・シーハン氏でした。彼は、彼のピクデメィヂ天文台の43インチ/F15のカセグレンを使用して眼視観測体験について手紙を送ってきました。 彼によると冥王星の衛星カロンを見る事が出来て、土星はハッブル望遠鏡のベストショットのようハッキリ見えた素晴らしい像だったそうです。ハッブルよりボイジャーのような像という表現の方が正しいかもしれませんが、どちらにせよ、このような高いレベルのディテートとコントラストでこれら天体を見た人は非常に少ないでしょう。もう一人の方はスカイ&テレスコープ誌のスティヴァン・オミーラー氏です。彼がウイルソン天文台の60インチ望遠鏡で観測した火星のイラストのコピーをくれて、Mare Cimmeriumの南にあるクレーターやOlympus Mons天辺にある噴火口も観測でき、Arsia Monsは立体的に見えて、かれの言葉では「Arsia Monsはしみのように火星の表面から浮かび上がりました」といい、この解説を読みながら彼のイラストを見たら文面から沸き立つ感動と興奮に、大げさかも知れませんが泣きかけてしまいました。。。
後に彼とはマンスフィールド市のヒドンハロー星祭りで、彼のウィルソン天文台の60インチ望遠鏡で観望した際の話も聞かせてくれました。それは、彼の知るもう一人の惑星観測のベテランE.M.Antoniadi氏が行っていた観測の様子やその結果、さらにはプライベートな話まで1時間以上話し込みました。
現在の私のスターウオッチングは、製作した望遠鏡の出荷前のスターテストを行った後で時間の許す限り、望遠鏡で観望しています。でも、TMBオプティカル社開設前の仕事とは関係なく自由に星空と付き合っていた頃が懐かしく思います。またよく人から、「観測所を作れば良いじゃないか」と言われますが、実は私は観測場所としている場所に、観測所を作る事ができないんです。それは、その場所の真南に大きな木があって、その木のオーナーに頼んでも、木を切ってくれないためです。。費用を全額負担すると言ってもだめでした。このような状況を考えると、この場所に観測所を作ったとしても、空全体の30%ぐらいしか利用できないんです。
<Cloudy Nights>
聞かせて下さい、あなたが観測する際の好みの機材やアクセサリーについてお聞かせ下さい。また気になる天体や常に目的としているような天体はありますか?
『トマスバック氏』
そうですね、まず一番好きな望遠鏡は私の所有するAP-900自動導入赤道儀に搭載しているTMB152mm/F7.9の望遠鏡です。この全てがATS社製の高さ54インチ/ポータブルピラーに搭載されています。アイピースなら、私のTMBスーパーモノセントリック5mm。それとバーダープラネタリウム社製のマーク」双眼装置使用の場合は、その2個です。一番好きな天体は火星ですね。しかし屈折望遠鏡によるディープスカイも大好きで、一番好きな天体は「球状星団」です。私にはその理由まではわかりませんが、この天体にある恒星一つ一つは、他の恒星と違い、変な言い方かも知れませんが、その像に面積のない本当の点像なんですね。これは他の恒星と大きく違います。なぜこのように見えるのか?については、今だ説得力のある理論や推論を聞いた事がありません。だからこそ興味があるのです。ウインタースターパーティーの会場で口径50cmのスターマスタードブとZEISSの双眼装置で見たオメガ星団は一生忘れる事のない素晴らしい像でした、それから絶対に忘れる事のできない惑星像を見たのはAstro-Physics180mm/F9EDT(ストレール強度99.75%)鏡筒で見た火星です、しかもシーイングも最高で面積はたった14.5秒角だったのですが、Olympus Monsがはっきり見えていて、しかもこの時火星の表面には雲もなく、見えているのは紛れもなくその山そのものがしっかりと見えていたんです。アイピースはニコンのOr5mmで倍率は325倍でした。もう一つ忘れられない星像は、同じくウインタースターパーティーの会場で使用したTMB228mm/F9の望遠鏡です、これにもZEISSの双眼装置とバーダープラネタリウム製の1.7倍リレーレンズとZEISSのOrアイピースで覗いた木星です。この時の倍率はおおよそ600倍でした。この時は私自身、初めて周りの事を気にせずに、夢中になってこの木星を15分以上も見入っていました。Ganymedeはは小さいながらもきちんと輪郭をもった一つの惑星に見えて極冠の明るい領域も良く視認でき、Galileo Regioがちょうどこの衛星の中心部を横切ろうとしているところでした。もちろんスケールは違いますが木星はまるでハッブル望遠鏡の映像のようで、我ながら本当に驚きました。その時我に返り、ふと私の後ろを見ると、10〜15人ぐらいの行列ができていて、みんなに「早く見せてくれよ〜」と言われてしまう始末でした。しかしそのぐらいにその時の木星像が素晴らしく、その後も私はどうしてもその木星像を眺めずにはいられなかったぐらいでした。
<Cloudy Nights>
では、あなたの会社は他の同業者とどのような違いがありますか?
『トマスバック氏』
弊社はレンズのデザインが第一優先です。最近はオプティカルデザインアプリケーションを使えば、しかもそれを少し知識のある人が使えば、誰でもある程度のデザインを行う事ができるでしょう。しかしそれを製品化するのとは別問題。例えばある有名なデザイナーとと望遠鏡のメーカーが30年以上も、彼のレンズデザインをもっとも有効に活用せず、彼の意志とは違う製品を送り続けていたというような話もあります。私と有名なデザイナーのリチャードバクローター氏もこの点についてメーカーにアドバイスした事もありました。すべてのデザイナーはいつも最高のデザインを求めます。使用しようとしているガラス叉は水晶は最大の透明度を持っている事、など正しい素材の選択が色収差補正の程度を決めてしまう事を一般常識的に知っています。例えば超高精度の3枚玉アポクロマートレンズの場合は、唯一の収差と呼べるのは球面収差のみです。したがってこの点のデザインによってそのレンズの結果を左右します。先に述べた例のデザイナーはそのデザインの課程でスポットダイアグラムの最小化を目標にデザインしたところ、残念ながら結果として色収差が増えてしまったという例もあります。これらは私に言わせればRMS波長収差を最低限となるようデザインしさまざまな関数計算などを行い正しい配分を行えば、そのレンズの球面収差を最低限としながらも最大のコントラストを発揮させるレンズとなるはずなのです。このように、私の任務はより良いものを提供し、シンプルに宇宙の素晴らしさを皆様へ提供する事だと思っています。
<Cloudy Nights>
最後に皆様へのアドバイスはありますか?
『トマスバック氏』
そうですね、あなたがどのような望遠鏡を持っているか?よりも、その望遠鏡がどれだけの精度を持っているか?などをあまり気にしないで、ただ夜空を見上げて、神様が作った雄大な宇宙を、ぜひ楽しんで下さい。
Thank you Tom Trusock / Cloudy Nights and Thomas M Back
|